利用者様からのメッセージ

デスさん (アノニマスネーム) 65歳

生活心得『明るく、元気に、前向きに、ルールは守り、やるべき事はやる』


自分が、Aliveに繋がった理由は3つあります。
脳梗塞、アルツハイマー型認知症、そして...アルコール問題。


自立準備ホーム(Alive)での生活は初めてだったので、入寮したした頃は、不安だらけの毎日でした。
でもAliveには、施設長の進藤俊明さんを始め、支援員の清水さん、川崎さんがいて、何かあった時、本音で話を出来る職員に出会えた事は、自分にとって、お世辞抜きに「ラッキー」だったと思っています。
この方々の事は一生忘れることはないでしょう。


小さい頃、(話をする時)吃音で周りから「何で、デスは性格が暗くて、陰気臭いんだ」と言われ続け、小さいながらも、言葉の暴力で心を痛めていたのを、今も覚えています。その頃は、人前で話すなど考えられませんでした。今はミーティングで、大勢の前で話します。自分を褒めたいです。


生まれつき体が弱く、小学6年までの8年間、小児喘息で苦しみ、好きなスポーツも出来ない体でした。ですが、体質改善をし、中学に入る前に病院の先生から「もう、ここ(病院)には来なくてもいいよ」と言われた日の事の気持ちを覚えています。おそらく、この気持ちは元気な人達には分からないと思います。


中学に入り、好きなスポーツに打ち込みました。
『水泳』『野球』『バレーボール』
中でも、中学の時のバレーボール部の仲間2人とは、今でも親友として付き合い、Aliveに入寮する時も彼らから、元気と前に進む力をもらった事か。
退寮して、元気になった自分を、胸を張って再開できる事を信じて、これからも前に進むだけです。


それから、1つ自分でもびっくりしている事があり、アルコール問題に関してなんですが、Aliveに入寮して2年半になりますが、入寮する前に、毎日のように浴びるほど飲んでいた(飲酒)自分が、今は飲みたい(飲酒)したいという欲求が、なくなりました。今思えば、惰性で飲んでいたのかも知れません。


かなり前にある事を思いました。もし仮に、職員の人から「今日は、特別な日だから1杯飲んでいいよ」と言われたら、はたして自分は飲むのだろうかと。おそらく、飲む飲まないではなく、そういう事を考えて事が、問題であると気が付きました。まだまだ、精神的に自分は弱いと他人ではなく、自分自身に負けない精神力を身につける必要があると。そうでないと、Aliveにいる大事な期間が無駄になっています。


そろそろ退寮に向けての目標もはっきりしてきました。
2週間に1度、首と腰のリハビリの為、整形外科に通院しています。もう1度、調理の仕事に戻り、自立したいという夢があるので、退寮後は首と腰のリハビリに専念し、必ず夢を実現したいを思っています。


デスはうそを言いません。(たまにしか)。
もし、このホームページを見ている人で「もう1度、やり直したい、生まれ変わりたい」という思いがある人は、ぜひAliveに来てください。
アノニマスネームはデスでも、心は太陽(サン)です。太陽はうそを言いません。お互いに、前向きに頑張りましょう。きっと、明るい光が見える事を約束します。


最後に、ムスメ達には、感謝しても、しきれません。
ムスメが役所に相談し、Aliveに来なければ、デスは、この世に、いなかったかも知れません。



タクヤさん (アノニマスネーム)

わったー生まれ島は、本島中部です。


まだ若かったので、バイクや女の子と遊ぶお金が欲しくて高校は中退してバイト生活をしていました。もう30年前の話になります。


それから東京に出て来て色々仕事もしましたが、あまり調子のよいことにはなりませんでした。


バブルの時は残業も沢山して給料の稼げましたが、泡沫の夢の如しです。入所して2年が経ち、自分のルーツに戻り親孝行もしたい気持ちが強くなりました。歳も歳だし色々考えています。


施設のおかげで酒も止まっていますが、先々の不安はもちろんあります。


施設生活はルールも厳しく頭に来ることもありましたが、他の利用者と関わりながら自分の成長にも繋がったと思っています。


今後の事は施設長と良く相談して決めていこうと思います。



インベさん (アノニマスネーム)

生まれは東京国分寺です。三多摩地区は地元です。


兄貴は勉強なんかいらないと言っていたので、何となく高校にも行かず、厳しい寿司屋の修行に進んでしまいました。後悔しています。普通に遊んでおけばよかった。


寿司屋は飲酒してバイク事故を起こし足を怪我して辞めてしまいました。その後は居酒屋の副店長など責任のある役職も経験しましたが、長くは続かなかったです。


だいたい最初だけなんですよね~。その後もその時々それなりに夢も抱き自分なりに生きてきましたが、最後は投げ出す羽目にどうしてもなるんですよ。

こんな自分にも出来る上手い解決方法があるのなら教えて欲しいくらいです。


刑務所、DARC生活も長年経験し歳のせいもあり、もう疲れました。アライヴの施設長との付き合いの10年位になり関係も深いので今後の面倒も見てもらおうと思っています。


施設長は、後、数年で引退しタイに移住するようなので一緒に連れて行ってくれるそうです。曰く「このまま施設生活してもよくなる感じしないし沖縄からのDARC付き合いもあるから、余生を海外で一緒に過ごすか?薬や酒の問題も下火だし、要は金のコントロールが出来ないし人の言う事聞かないだろ。このままっていうのも忍びないしなー。パチスロはタイにはないし、お前飯作るのは上手いから飯頼むなー、タイの自助グループに通いながらクリーンを大切にして老後いけるとこまで行くか!」とのことです。日本には愛想がつきました(笑)数年後に生活保護を切ってタイで暮らすこと目標に毎日頑張ってます。さよならパチスロ。さよなら日本。サワディーカップタイランド!


楽しい老後を過ごしたい!仲間との共同体でしか生きられないことを認めました(笑)。



カズさん (アノニマスネーム)

生まれは東京都足立区です。あまりがらのよい所ではなくバリバリの下町です。


母親が再婚し小学校位から義理の父親から虐待されました。酒のみの義父で給食費も満足に払ってもらえず暴力は日常だし、散々でした。


母親が中学で亡くなり、養護施設に預けられ、そこの紹介で板金職人に昔でいう丁稚奉公で出されました。16~22歳までなので真面目に仕事は続けたつもりです。その後も肉体労働系の親方の元で色々仕事をしました。


23歳で窃盗等で逮捕、その後も複数回受刑しました。


性格は自分で言うのも何ですが真面目で仕事の面接も難なくクリアして頑張ります。長い勤め先で10年以上は続いたりしました。就職先の親方がよかったことも影響していたと思います。最後の務めは7年で2年前に出所しアライヴに入所しました。


今の施設長はよいかどうかはわかりませんが、よい人なら何とか刑務所に戻らずに済むでしょう(笑)他力本願ではありますが、正直そんなところです。真面目過ぎるのかな~。本当に一生懸命に仕事はします。対人関係でストレスは溜め易いのが弱点です・・・。


今は今日一日淡淡と過ごしています。この前は台風の中、突然、沖縄DARCに連行されました(笑)。グループワークを受け色んな仲間の話も聞いて来ました。ストレスを溜めていると施設長が配慮してくれたみたいです。青い海を期待していましたが強風圏で飛行機が飛ぶのも奇跡でした。残念!雨男はだれだ!!